劇評193 

奇異に新しいだけなのではない、人間の真情を精緻に描ききった秀作。

「天日坊」

2012年6月16日(土) 晴れ
シアターコクーン  17時開演

作:河竹黙阿弥
脚本:宮藤官九郎
演出・美術:串田和美 
出演:中村勘九郎、中村七之助、市村萬次郎、
    片岡亀蔵、坂東巳之助、坂東新悟、近藤公園、
    真名古敬二、白井晃、中村獅童、他

場 :  シアターコクーンのロビーが大賑わいな状態です。販売されている飲食も普段メニューとは異なり和風仕様です。おにぎりのセットメニューなども揃っています。物販コーナーもオリジナル商品が沢山並んでいます。来場者を芝居以外でも、とことん楽しませようとするサービス精神が、何とも嬉しい。芝居を観に行くという“ハレ”感に、満ち満ちてています!

人 :   満席です。立ち見もでています。お客さんは、やはり、いつも歌舞伎を見に来られている方々の割合が高い感じがしますが、若い層が目立つのは、コクーン歌舞伎独特な感じでしょうか。隣の中年夫婦が、「いつもより若い人が多い」と語り合っていました。

 河竹黙阿弥原作の「五十三次天日坊」を元に、宮藤官九郎が新たに脚本を書き下ろした本作は、慶応三年以来、実に145年振りの上演になるという。長大な原作を主人公の法策を中心とした展開にまとめ上げ、人間のアイデンティティーをテーマとした作品へと甦らせた宮藤官九郎の手腕が際立ち、抜群に秀逸だ。この脚本があったからこそ、現代の観客の心に響く“新たな歌舞伎”として「天日坊」は甦ることになったのだと思う。

 観音院の弟子として生きる孤児の法策は、飯炊き婆さんの死んだ孫が源頼朝のご落胤だということを聞き、その証拠の品まで見せられた上に、偶然にも生年日も法策と同じであったことを知った瞬間に、こう囁く。「マジかよ」と。

 その一言が、法策という青年の真情をグッと引き出すのと同時に、往時と現代との時空の垣根をスコンと一瞬にして取り払ってしまった。そして、法策は婆を殺め、証拠の品を盗むことになる。

 また、法策が抱え込む善と悪との意識の狭間をギラリとフォーカスするのが、むせび鳴くトランペットの音色だ。人生を駆け上るとも、転がり落ちるとも言える物語展開にピッタリと寄り添い、法策の哀感漂う人間像をクッキリと浮かび上がらせる。串田和美演出の“粋”が立ち上がる。

 串田和美は美術も手掛けるが、それぞれの場面が可動式の平台の上に設えられており、シーンが変わる毎に果断なく次の物語を紡いでいくというスピーディーさを獲得している。

 また串田演出は、それぞれの俳優陣たちから、その役柄と俳優との資質を掛け合わせた“核”を掴み出し、それを見事に、歌舞伎仕様のカリカチュアライズ化させることにも成功した。俳優陣たちの個性がそれぞれに際立ち、楽しくも賑々しい猥雑な雰囲気を醸し出す。故に、歌舞伎の型がない役者陣は、リアルな芝居では観客をグッと惹き付ける魅力を発するが、華連味を必要とする場面においては、歌舞伎組との資質の差が明らかに現れるという結果にもなった。

 物語は法策が出自を騙しながら上へと上り詰めようとするピカレスク物語の様相を呈していくが、途中で化けの皮が剥がれたり、またそうすると、そこで別の人物を装ったりなどしている内に、だんだんと自分の存在自体があやふやになっていってしまう。そこで、法策は叫ぶ。「俺は誰だぁ!」。アイデンティティーが保てなくなり、意識が瓦解する。自分探しを標榜する現代人との意識と法策の想いがシンクロする。

 取り繕っては解れ、果ては罪人にまで身を落とす法策であるが、実は、木曽義仲の子、清水冠者義高であることを告げられる。源頼朝とは敵対する立場であったという何とも言えぬアイロニーを呈しつつ、物語は一層の混迷を続けていく。

 勘九郎がタイトルロールを嬉々として溌溂と演じ、実に新鮮で若々しい風を作品に吹き込んでいく。また、若さという資質が宮藤官九郎の現代的な筆致とピッタリと重なり合い、その時代を駆け抜けた武者の生き様が躍動感を持って体現されていく。女盗賊を演じる七之助がいい。きびきびとエッジの利いた出で立ちも美しく、啖呵を切る様も迫力がある。実は、義仲の家臣の娘であったことが分かると、身のこなしを一変させクッキリと演じ分けるのも見事である。

 獅童は兎に角押し捲る、その存在感が可笑し味に変化し、観客から笑いを取っていく。婆を演じる亀蔵がコミカルで面白く、赤星典膳の偉丈夫との落差も楽しめる。萬次郎の落ち着き払った公家の気品や、巳之助と新悟のイチャイチャ振りも、作品に溌溂としたふくよかな厚みを加えていく。

 若者の変わらぬ真情を描いた、現代にも通じる宮藤官九郎の秀逸な脚本を得て、新鮮な座組を組み上げることで、串田和美が歌舞伎に新たな地平を斬り拓こうとした試みは見事に成功した。情感たっぷりに描かれた悪漢大河物語は、奇異に新しいだけなのではない、人間の真情を精緻に描ききった秀作として甦った。