劇評188 

作品全体を覆う堅さを解消し、練り直した舞台を再見したいと思う。

「エンロン」

2012年4月14日(土) 晴れ
天王洲 銀河劇場  18時開演

作:ルーシー・プレブル
演出:デヴィット・グリンドレー
翻訳:常田景子
出演:市村正親、豊原功補、香寿たつき、
  たかお鷹 / 秋山真太郎、伊礼彼方、
  植原卓也、末次美沙緒、ちすん、
  長谷川寧、林勇輔、古川雄輝、松原剛志、
  満島真之介、宮下今日子

場 :  エントランス付近の花台が沢山で賑やかですね。入場もスムーズに、館内へと入っていきます。ロビーも落ち着いた雰囲気です。劇場内に入ると既に舞台装置が設えられています。イントレが聳え立っており、無機質な雰囲気が漂います。

人 :   若干の空席がありますかね。ほぼ満席です。観客は総じて年齢層が高めです。一人来場者も多い感じです。皆さん、静かに開演を待つといった感じです。

「エンロン」とは、2001年に粉飾決算が明るみに出て倒産したアメリカのエネルギー関連大企業である。その崩落に至るまでの事の顛末を、イギリス人であるルーシー・プレブルが描き、2009年にロンドンで初演を迎えたのが本作だ。

 この戯曲が面白い。物語の中心に立つのは、会長のレイの信頼を得てCEOへと上り詰めたスキリングだ。彼が推進していった企業戦略が次々と成功し、次代を担うビジネスモデルとして業界の先端を疾走していく様がスリリングに描かれていく。株価は上昇の一途を辿り、アナリストたちも「エンロン」に最高の評価を与えていく。スキリングは一躍時代の寵児としてもてはやされていく。

 「マーク・トゥ・マーケット」という、将来の見込み収益を前倒しで計上できる会計システムを導入し、それが莫大な資産を生み出していくのだ。しかし、あくまでも計上された売り上げは見込みであるため、それはどこかで解れる糸のように瓦解していくことになる。更には、ブロードバンド事業にも事業を拡大し、エネルギー資産のトレードにも取り組み始める。見込みと実態がどんどんと乖離していく、その底知れぬ恐怖を、スキリングは何としても解消したいと頭を悩ませていく。

 スキリングは、その悩みを部下のアンディに打ち明ける機会を得る。そこでアンディは、損失をシャドウ・カンパニーに肩代わりさせる方法を持ち掛け、スキリングはそのアイデアに乗る判断を下していく。ビジネスがマネーゲームへと変貌していく。

 この一見込み入った話を視覚化するにあたり、オーソドックスな台詞劇のアプローチを取らなかったことが、この作品の最大の魅力となっている。トレーダーたちがダンスをしながら駆け回る姿や、スター・ウォーズさながらにライトサーベルを手にトレードを行うなど、エンターテイメント性を意識した手法が面白い。また、お荷物である負債を押し込むシャドウ・カンパニーを、絶滅した恐竜の頭を持つ男として現前させたのもアイデアである。

 但し、様々な傑出したカードが揃っているのにも関わらず、その要素を十分に生かしきれていないようなもどかしさが感じられる。初日から2日目ということもあるのかもしれないが、弾けるような勢いがなく、全体的に抑え込まれたような堅さが残るのだ。ホリプロが外国人演出家を起用して制作した場合に、まま起こり得る現象でもある気がするが、コミュニケーションの問題なのか理由は定かではないが、その原因は何なのかは、是非、解明して欲しいところだ。

 社会問題を舌戦で描きながらも、まるでミュージカルのようなシーンを挟み込むアイデアは、実にオリジナリティーがあり、観客が楽しんで観ることが出来る素晴らしいアイデアだと思うので、惜しいなと感じてしまう。また、これは日本版のオリジナルなのだと思うが、奥秀太郎が創り出す映像の世界観は、作品に更なるクリエイティビティーを与え秀逸である。

 市村正親は恐れを抱きながらも、カリスマとして君臨するスキリングを様々な側面から見せ楽しませてくれるが、どこか発散しきれない堅さがしこりとして残る。いや、実は、その堅さが役を演じる上での胆だったのであろうか?とも思うが、そこは判然としない。アンディを演じる豊原功補は、虎視眈々と組織の上部へと上る機会を伺う野心家を冷徹に演じ、シニカルな彩りを添えていく。香寿たつきはスキリングとCEO争いをする女性幹部クローディアを演じるが、キャリアウーマンをステロタイプに捉え表層的な人物像になってしまったきらいがある。たかお鷹は会長の貫禄と偉丈夫さを兼ね備え、揺るがぬ巨星を体現するが、脆弱さを忍び込ませた弱さをも感じさせているため、哀しい事の成り行きの結果にも合点がいく。

 トレーダーなどを演じる若者は、長身のイケ面俳優が揃っている。誰が悪いとかそういうことではないのだが、面構えや体格などもバラバラに、バラエティーの富んだキャスティングをした方が、作品に厚みを与えることが出来たのではないかと思う。

 戯曲は緻密で、演出のアプローチもエンターテイメント性に溢れたオリジナリティーを獲得している。実に面白いプロジェクトだと思うのだが、戯曲と演出と役者が、どうも有機的に機能しきれていない段階にあるため、ある種の堅さが作品そのものを脆弱にさせている気がする。これは回数を重ねれば解消できることなのかどうかは分からないが、練り直した作品を観てみたい気がした。