劇評172 

ネット時代に対峙する作者の心情と覚悟が突き刺さる、爽快感溢れる快作。

「クレージー・ハニー」

2011年8月7日(日) 晴れ
PARCO劇場 14時開演

作・演出:本谷有希子
出演:長澤まさみ、成河、安藤玉恵、吉本菜穂子、
    リリー・フランキー / 中野麻衣、坂口辰平、
    太田信吾、礼内幸太、池田大、中泰雅、
    北川麗、鉢嶺杏奈、加藤諒、清水葉月

 

場 : 初日から2日目ということもあってか、出演者などに贈られた沢山の花が、ロビーに所狭しと飾られています。会場内に入ると、舞台上には既にセットが組まれています。ライブハウスでトークショーが行われるという設定であることが、見て取れます。

人 : 満席ですね。人気の演目であるザワザワ感が、お客さんが醸し出す雰囲気から感じられます。客層は実に様々な人々が集います。男性の比率が比較的高いのは、長澤まさみ初舞台の効果でしょうか。

 暗転になると大音響で音楽が鳴り、パッと明かりが入ると、長澤まさみ演じるケータイ作家と、リリー・フランキー演じる作家のゲイの友人が、トークショーを行っているシーンが活写される。それぞれがてんでにコメントを放つと、また暗転。そして、トークショーのシーンという循環が数回繰り返される。話を中断するようなこの場面展開に、表層的で浅薄な会話を、作り手が意図的に遮っていくという、登場人物たちに向ける本谷有希子のシニカルな視点が冒頭から炸裂する。

 トークショー終了後に、話はいよいよ本題へと向かっていく。参加者の皆に帰りがけに渡したクッキーか何かの袋に、作家の熱狂的な支持者と思われる人にだけ、「再度、この場に集まって欲しい」という旨のメッセージを入れたらしいのだ。そして、一人、また、一人と参加者がライブハウスへと戻ってきて、円陣に組まれた椅子に座って、次に何が起こるのか、固唾を呑んで見守ることになる。観客も、呼び戻された参加者と同様に、これから何が起こるのかが、全く予想できない。

 そして、だんだんとファンが再召集された意図が明かされていく。そもそも一連の出来事は、一編集者の思いつきから始まったことらしく、落ち目の作家のこれまでにない側面を出した「告白本」を作り、一発狙おうという魂胆がそこにはあったようなのだ。しかし、それぞれに思いは散逸し、だんだんと人間の裏面に巣喰う悪意が露見し始め、当初の意図を超越して、誰もが予想だにしなかった方向へと、大きくベクトルが揺り動かされていくことになる。

 ここで喋ったことが本になっても構わないというような趣旨の念書を、ゲイの友人が参加者に強制してサインさせようとしていくと、だんだんとその場に不穏な空気が流れるようになり、一旦、散会となる。しかし、始発の電車を待つために参加者たちが移動したカラオケボックスに、作家とゲイの友人が乱入したことにより、またもや、ライブハウスへと場を戻して、第二ラウンドのゴングが鳴り響くことになる。徹底抗戦、である。

 作家は自らの主張を参加者たちに叩き突けていく。「目に前にいる人間に嫌いだはっきりと言うことができないくせに、自分の主張で説得させることなんでできない」と、ネット上の彼岸でこれまで安穏と意見してきた輩に対して、怒りを露わにする。「なぜそんなに自分の意見を聞いてくれると思っているのでしょう」とアジテートし、「気づいてください。人と人とが繋がりたいなんて暴力なんです」と断言する。バーチャルをリアルの場へと引き摺り出し、仮想世界でどんどんと肥大化する言葉の連鎖を、あたかも正義であるかのように振りかざす、コミュニティーの奥に潜む空虚さを暴露していく。

 ネット上における人と人との繋がりを冷静に見た場合、匿名性を確保した上で好き勝手に発言する姿勢を「悪」と捉える本谷有希子の視点は、新鮮、且つ、快哉を叫びたくなるようなスカッとした心地良さを感じさせてくれた。バーチャル世界は一種のオブラートにでも包まれたかのような安全地帯であるが、そこの住人たちの、まるで霧が掛かったかのように一向に真意が見えない、その不気味さの“核”がだんだんと露見していく。

 恫喝し続ける作家は、悪人なのか。はたまた、被害者なのか。そして、作家は、本当は何を「告白」したかったのか。また、参加者たちは、どういう思いでここに集い、こんな事態に巻き込まれているのか。

 切っ先鋭い刃を放つ作家とそのゲイの友人に対して、「悪意」の報酬はブーメランのように舞い戻ってくることとなる。その「悪意」に対して、最後まで挑み続け拮抗していくか、見事に振り切って走り抜けるのかという局面に、真っ向勝負で挑んだ二人は、こてんぱに打ちのめされることになる。友人はオイディプスのように自らを罰し、作家は、自らが「善」であるというスタンスを崩すことなく、そんな状況を逞しくも笑い飛ばして突き放す。

 初舞台の長澤まさみは、ドロドロな女の心情を、その美しい肢体が中和させるという効果を生み出した。旬のスターがこの作家という役を演じることで、設定のリアルさが少し現実から乖離し、かえって作家の心情が伝わり易くなったと思う。リリー・フランキーの存在感は、圧倒的なパワーを持って舞台を席巻する。役者業には出せないナマっぽい心情が零れて観客の心を掴んで離さない。成河、安藤玉恵、吉本菜穂子が脇をガッチリと固めて、作品に安定感ある均衡を付与し、若手役者陣の個性が、リアルな今の時代を投射していく。

 本作は、情報を発信していく者たちの、ネット時代に対峙する心情と覚悟が染み出る、旬な逸品だ。本谷有希子のリアルを見つめるこの意地悪な視点は、後引くクセになる面白さに満ちている。爽快感溢れる、快作である。