劇評165 

優しくも鋭いメッセージが心の琴線に触れる秀作。

「散歩する侵略者」

2011年4月23日(土) 雨 神奈川芸術劇場大スタジオ 19時開演

作・演出:前川知大 
出演:浜田信也、盛隆二、岩本幸子、伊勢佳世、森下創、窪田道聡、大窪人衛、加茂杏子/安井順平

場 :  神奈川芸術劇場は、行き慣れると、駅からそう遠くない感じがしてきます。しかし、このアトリウムは、本当にでっかい空間ですよね。劇場内に入ると、既にセットが設えられています。グレーのトーンで統一された、室内空間が出来上がっています。「浮標」の時にあったオレンジの柱は無かったです。そうですよね、常設な訳ないですよね。
人 :   ほぼ満席ですが、若干の空席があります。満遍なく様々な人々が集います。地元の方が多い感じがしますね。中には小学生を連れたご家族などの姿もあります。でも、一人来場者が多いかな。

 本作「散歩する侵略者」は、前川知大主宰の劇団イキウメの代表作であるが、演出と台本を全面改訂して今回の全国サーキット公演に臨んだのだという。文句なく面白かった。そして、観劇後にヒタヒタと心に染み込んでくる、この温かな感動は一体何なのだろう?

 舞台は、全く仕切りはないのだがいくつかの部屋が重なり合った設定になっており、美術全体の色彩のトーンはグレーで統一されている。静謐な感じさえするステージの上で展開されるのは、ある種のSF。但し、派手なアクションや残虐なスプラッター的表現は一切ない。日常の生活の中に、「散歩する侵略者」が入り込み、人間の身体に大きな影響を及ぼしていく光景が、淡々と描かれていくのだ。しかし、相反するようだが、舞台上の登場人物たちは、実にパッショネートで、激しく口論したり、自分の心情を吐露したりする。ひんやりとした手触りと、熱い思いとが、無理なく融合していく。

 しかし、淡々とした印象を強く持ってしまうというのは、この閉じられた世界の中から、誰も出て行こうとはせず、大きな行動的な逸脱がないからなのであろうか。そんな状況自体が、現代の社会が内包する閉塞感とも呼応し、ますます、劇世界へ前のめりになっていく。今を生きる人々の、“気分”が上手く掬い上げられているのだ。緻密な構成で、現実と同じ周波数で舞台がチューニングされているため、物語が観る者の感情にストンと落ちてくるのだろう。その目盛の合わせ方が、実に繊細なのだと思う。

 物語の核を開示してしまうが、侵略者は散歩しながら人から何を“侵略”しているのかというと、人が持つ“概念”であるというところが、また、面白い。実に良く出来た、メタファーだ。人から概念を奪うと、どうなるのかという、大いなる問い。彼らが住む町には、軍用機が飛び交い、明日にでも戦争が起こるかも知れないという側面の設定も描かれている。この閉じた世界に、リアルワールドが照射されてくる。

 侵略者は3人いて、ヤドカリのように人間の中に住み込み、最初は記憶喪失者のように無の状態だが、だんだんと人から概念を奪っていくに従い、知識が増えていくことで、普通の人間の佇まいへと変化を遂げていく。概念を奪われた人間は、その概念を失うことによる喪失感を味わい、記憶喪失的な疾患を伴うことになっていく。病院にはそんな患者が増えてきているらしい。

 そんな中、概念を抜き取られたにも関わらず、水を得た魚のように生き生きとし始めるフリーターの若者が異質な存在として浮き上がってくる。彼が奪われたのは、所有という概念。このことから解放されたことにより、彼は、街頭で戦争反対、世界平和を訴え始めるのだ。当初は、戦争が起こるかもしれない予感に現状打破の喜びを見出していた彼であるが、それがクルリと一変するのだ。友人に、「お前も、変えてもらえ」と進言していくようになっていくのだ。失うことで、初めて見えてくる最も大切なことが、浮き彫りになっていく。

 役者たちは、劇団員で構成されているのだが、その誰もが素晴らしい。侵略者の一人を演じる窪田道聡の無の状態から概念を得ることで変化していくその過程の表現。浜田信也演じる記者の好奇心の旺盛さと、ある線上を越えた際の激情が迸るその落差。そして、伊勢佳世演じる夫が侵略された妻の戸惑いと、その現実を受け入れる潔さ。森下創演じるフリーターのいい加減さと、変化してからの猪突猛進振りなどが印象深い。

 ラストが白眉だ。話の流れから山場のシーンが少し前から予測できるのだが、これも計算なのであろう。ヒタヒタとラストに向かって展開していく、その上り詰めていく緊張感あるプロセスに、観ている観客も思わず固唾を呑んで見守ることになっていく。妻が侵略者に奪ってと懇願した概念。そして、その概念を抜き取った侵略者。その成れの果ての光景を目撃してしまった私の心の中で、大きく慟哭するもう一人の自分を発見する。こんなにも優しくも鋭いメッセージの提出の仕方があるのだなという驚きと、そして、生きることの意味を問い直されたような気がした。秀作であると思う。