劇評157 

人間の心の奥底に潜む感情の放出が、観客にスカッとした爽快感を与える快作。


「大人は、かく戦えり」
 

2011年1月9日(日) 晴れ
新国立劇場 小劇場 14時開演

作:ヤスミナ・レザ
演出:マギー
翻訳:徐賀世子
出演:大竹しのぶ、段田安則、秋山菜津子、高橋克実

場 :  新国立劇場は初台駅とほぼ直結しているので、とても便利です。しかし、都営新宿線は新宿止まりとかも結構あるので、下手すると10分以上、新宿駅のプラットフォームで待つはめになったりもします。まあ、事前に時刻表を調べておけばいいんですけどね。劇場内に入ると、舞台前面には、カラフルな色使いで手書きのタッチの家が描かれた緞帳が下がっています。
人 :  満席ですが、立ち見はないです。客層は50歳代以上の高年齢者層が7割位を占めているのではないでしょうか。即日完売演目でない場合、シルバー層が多いのは最近の傾向だと思います。また、ご夫婦の方が多いんですよ。いいですよね、休日にお二人でゆったり芝居鑑賞だなんて。この演目の上演時間は約90分なのですが、「終わって、新宿に行ったとしても、夕飯には早いじゃない」ということで、もめているご夫婦がいました。

 大竹しのぶ、段田安則、秋山菜津子、高橋克実の4人芝居である。この実力派が居並ぶキャスティングに惹かれて劇場へと足を運んだのだが、期待を裏切ることなく円熟の演技合戦をたっぷりと堪能することが出来た。

 作はヤスミナ・レザ。「アート」などでも知られるフランスの俊英だ。日常生活の中におけるほんの小さな会話のズレが段々と大きな傷口として開口していき、個々人の中に潜んでいた真情を揺り動かし噴出させていくという人間感情のひだの描き方が絶妙で、抱腹絶倒しながらもズキンと身につまされるという作品世界に、ついつい前のめりでかぶり付いてしまうことになる。

 本作は、大竹しのぶと段田安則演じる夫婦の子供が、秋山菜津子と高橋克美演じる夫婦の子供に怪我を負わされ、その喧嘩の調停をするための話し合いの場がその舞台となる。大竹、段田夫妻の家の居間で、90分間ノンストップの演技バトルが繰り広げられていく。

 最初は穏やかに話が進んでいくかに思えるのだが、事件の顛末を記した書面を大竹しのぶが読み上げ、その記述の中に相手の子供が「武装していた」という表現があったことから、「それはちょっと大袈裟ではないか」という異論を相手方夫婦が挟み込み、徐々に何かがしっくりとこない違和感が皆に伝播していくことになる。その行き違う微妙で繊細な感情表現が、もう絶品なのだ。

 しかし、激情は何も相手方夫婦にだけ、感情の刃を突き付ける訳ではない。時に、自分のパートナーに対しても常日頃から抱いていたストレスや不満を爆発させてもいくし、きっと自分でも思ってもみなかった自分自身の本性をも自ら暴き立てていくことにもなる。その予測不可能な展開の行方が、実にスリリングに描かれていく。

 演じる役のほとばしる感情を頼りに役作りが出来る程、生易しい本ではない。台詞には書かれていないが、各人がこれまで生きてきた道のりや、普段の生活スタイルに至るまで、かなり詳細に渡ってその人間像を掘り下げ、リアルにその人物から血肉を掴み取って演じていかなければ、何の説得力もない薄っぺらな人間像が出来上がってしまう怖さを秘めた戯曲なのだ。

 演出のマギーを含め4人のベテラン俳優たちは、きっとかなり綿密な作業を積み重ねてきたはずであるが、そんな苦労は微塵も感じられない程、皆が完全に役柄を自分のものとして昇華させ、行為や言葉のずれから生じる笑いを途切れさせることなく、観客に叩き付けてくるそのパワーは圧巻だ。

 大竹しのぶは、辛辣で身勝手で高慢ちきで鼻持ちならない女の側面を実に魅力的に演じ、片時も目を離すことが出来ない。段田安則は、一歩引いて静観したスタンスを取るその冷静な視線が作品に深みを与えている。秋山菜津子は、上品に取り繕った体裁をかなぐり捨て、秘めた感情をジワジワと表出させていくその変貌振りが観る者にもスカッとした気持ちをプレゼントしてくれる。高橋克実は、一番俗物的に見せながらも、その実、なかなか達観したクールな男の一面も感じさせ、そのギャップに可笑し味を忍ばせ見事である。

 何も、希望や未来を提示することだけが、癒しを与えてくれる要因ではない。本作は、観客が、ごく普通の人間の心の奥底に潜んだ感情を一気に吐き出す光景を目の当たりにすることで、逆に、スカッとした爽快感を得ることが出来るという快作に仕上がっている。