劇評136 

沸点の低い低温度にチューニングされた男たちの人生の一遍を描く佳品。


「相対的浮世絵」



 

2010年3月20日(土)晴れ
シアターコクーン 18時開演

作:土田英生
演出:G2 
出演:平岡祐太、袴田吉彦、安田顕、内田滋、西岡徳馬

 

 

場 :  会場に入ると妙に落ち着いた雰囲気である。何か賑々しさがあまり感じられないロビーの光景です。会場内スタッフもコクーンの契約スタッフではない感じ。会場誘導の制服を着た人員はコクーンの人なのかな。貸し小屋的な感じなのでしょうか。
人 :  7割弱の入りでしょうか。1階席も結構空席が目立ちます。TV出演の多い俳優さんが出ていたとしても、なかなか集客が難しいということでしょうかね。演劇の集客は大変ですね。客層はやはり女性が8割位を占めています。年齢層は30代前後かな、ボリュームゾーンは。但し、男性の一人客なども若干ですがいますね。MONOファンなのかな?

 面白いタイトルだなと思って興味が惹かれ、そのタイトルからしてどんな話であろうと想像していたのだが、この世とあの世のボーダーがスコンと抜け落ちたシーンが綴られていくというシチュエーション・ドラマであった。かつて亡くなった弟とその友人が会いたいということで、その兄と友人が公園墓地の東屋にやってくるところから物語は始まり、終始舞台はその東屋で展開されることになる。

 時空を凌駕して現れる弟とその友人には、亡者の哀しさや苦しみは一切感じられず、学生時代のクラブ活動中、部室で煙草の不審火により焼死する寸前の、クラブ活動の装いのままの爽やかさだ。そして、とつとつと会話が交わされ始めるが、それぞれの役者の立ち位置や台詞の投げ掛け具合などが、丁寧に演出され展開していく。あの世の仕組みなどを台詞のそこここに織り交ぜながら、だんだんと皆が心に空いた隙間を埋めていくことになる。この導入は、ある種のシチュエーション・コメディのようなテイストだ。

 そして、時空を俯瞰して見ることができる死す者は、兄と友人が現在抱えている大きな問題を知っており、それを解決してあげようということになる。横領と、教え子に手を付けたという問題だ。当人たちにとっては、棚からぼた餅状態である。ところが、この対応が後に、コメディの要素を消し去るような新たな火種となっていく。

 誰もが大きく声を荒げることもなく、当人たち同士の会話は、実に淡々と進んでいく。実に沸点の低い、低温度の感情が行き交うのだ。この沸点の低さは何に所以するのだろうと感じ入るが、私たちの日常生活は、実はこんな感じで粛々と廻っているのではないだろうかと気付き、この戯曲に対する演出のアプローチ方法が、日常のリアルを再現しているのだと感じることになる。視覚的な仕掛けが少ない分、戯曲が仕掛けた罠が浮き彫りになる結果となる。

 解決した問題は、あの世の世界のガイドラインに則さない越権行為であったことが、亡きふたりを監視するこちらもまた死した初老の男に指摘されることになる。このことが分かると、もうこのような邂逅が叶わなくなるというのだ。元に戻すか戻さないか、会うか会わないか、大きな決断に迫られることになる。そして、このことが、かつての事件を呼び覚ますこととなり、亡き者はその胸中を生きるふたりにぶちまけることになり、シリアス・モードのスイッチが点灯する。事件の現場で何が起こっていたのかが、露見していく。

 弟の平岡祐太は、ピュアな資質をとことん徹底させて貫徹させていく。兄の袴田吉彦は、ガッチリとした体躯ながら繊細な感情表現を紡いでいく。主に映像で活躍するそのふたりのソフトな印象を、ベテラン勢がエッジを効かせることで、バランス良く並び立つことになる。兄の友人の安田顕は、教え子との関係性から抜けきれないダメさ加減が全体の中で良いアクセントとなっており、弟の友人の内田滋は、秘めた思いをストレートに叩き突ける直球演技が作品の感情の幅を広げることに貢献する。そして、初老の男の西岡徳馬は、真正直な演技合戦を少し引いたポジションで、ユーモアな感覚すら感じさせるアクセントを付加し、作品にふくよかな印象を与えていた。

結果、事の顛末が爽やかな印象を残すこととなり、作品としては決して派手さはないのだが、登場人物たちが抱えていたしこりみたいなものが、何故か観る者の心の片隅に知らない内に沈殿しているという、じんわりと心に残る作品に仕上がっていたと思う。