劇評125 

毒気あるアクセントがもうひと塗り欲しいテイストの佳品。

「グレイ・ガーデンズ」



2009年11月14日(土)曇り
シアタークリエ 17時30分開演

台本:ダグ・ライト
音楽:スコット・フランケル
作詞:マイケル・コリー
演出:宮本亜門
出演:大竹しのぶ、草笛光子、彩乃かなみ、
   川久保拓司、デイビット矢野、
   吉野圭吾、光枝明彦 
場 :  シアタークリエは3回目の来場であるが、劇場スタッフの客誘導が物凄くスピーディーになっていた。まずエントランスにあるエレベーターには専任のスタッフが付き、来場する客を手際良くエレベーターに誘導していく。基本的に劇場への入場手段がエレベーター2機だけしかない(階段通路はありますが)というのがそもそも問題なのではあるが。地下の劇場に降り立つが、こちらでも劇場スタッフが客をすみやかにエレベーターからロビーに誘導していく。開演前、劇場内で携帯電話などの注意をするのは、どの劇場でも慣例だが、特に幕間に弁当箱やドリンクの空きコップを劇場スタッフが回収して回るのは驚いた。劇場内での飲食はOKなんですね。しかし、上演中はNGということのようだ。劇場内は、「Grey Gardens」と書かれた幕が既に降りている。
人 :  ほぼ満席。9割方が女性である。年齢層は高いですね。明らかに40歳代以上の方々がほとんどである。平均は50歳代位であろうか。しかも、ひとりとかふたりでとか、大勢ではなく、少人数での来場が多い。団体で芝居を観にいくという時代ではないのでしょうね。でもそうなるとなかなか集客が大変そうだなとも思う。


  アメリカを代表する名門一家でジャクリーン・ケネディの叔母と従姉妹である母子の話である。1幕目は、母子がかつての栄華を謳歌する時代を描き、2幕目は住む屋敷はそのままに、困窮した生活に流されるままゴミ屋敷と言われ州より退去命令が出る程落ち込んでしまったふたりをフューチャーする。アメリカではドキュメンタリー映画の公開でカルト的な人気を誇るふたりのようであるが、本作はあらかじめ事前知識がなくとも楽しめる分かり易いミュージカルになっている。

 


  誰もが観て理解できるものがブロードウェイミュージカルの基本ではあると思うが、こういったちょっとクセのある題材でも、すっきりと綺麗に物語の枠組みの中に当てはめられて見せられると、もうちょっと、ドロドロとした部分も見たいなという欲求が出てくる。いや、母子が罵倒し合うように相手を罵る会話などもありアンダーな切り口もあるのだが、やはりクライマックスは歌で昇華されてしまうので、健康な後味が残るのだ。それを良しとするのかしないのかは、観る者によって様々ではあるとは思う。


 
 


 また宮本亜門の演出も華やかなんですね。観客の大部分は異次元の夢物語も観にわざわざ劇場に足を運ぶのであるのだから、演出家の意図は正しい判断なのではあると思う。しかし題材の本質を深くえぐり出すというよりは、母子の関係性の在り方と生活様式の変化にポイントを置いていると思われるため、いつもとは違った包装紙ではあるがこういった模様もいいでしょうというような、表層的な印象を抱かされてしまうのも否めない。故に、宮本演出では、どれだけ作品の幅を拡大できるノイズを持った役者がキャスティングされるかによって出来が大きく左右されることが多いと思う。


 


  そういう意味では、「スィニー・トッド」に続いての大竹しのぶの起用は、作品をより深く広く拡大するパワーに満ち溢れていて圧巻である。悪態をつくその表向きの其処此処から、クルクルと目まぐるしく変化させながら感情のヒダを表出させ、美しく整えられた物語や歌、そして演出家の世界観を、内側からあっさりと破いてみせるのだ。そこにはある種様式化したスタイルを持つミュージカル女優などには決して出せない、リアルさが見えてくる。1幕では母の若かりし頃、2幕目ではオールドミスの娘を演じるが、母の苦悩と娘の苛立ちをそれぞれに演じ分けて見事である。しかも、この作品全体のテイストと自分とのバランスを考慮しながら、自らがノイズとなりながらも大きく突出し過ぎることはない。

 
 


  草笛光子は貫禄、である。舞台に存在しているだけで、イコンと成り得ているのだ。勿論、大竹しのぶとの舌戦も見事で、軽く一歩引いての丁々発止の様はまるで音楽のように流麗で心地よい。大竹しのぶとはまた違ったエンタテイメントの方向性へと舵を取り、作品に清廉なふくよかさを付け加えていく。







  話の内容に比して、意外にも薄味な印象ではあったが、この劇場でこの観客層に提示するテイストとしては、正解に近い照準なのかもしれない。但し方剛の美術が、特に2幕目に関しては毒気を牽引する装置として異彩を放っていたとは思う。観劇後、ドリンクを傾けながら語らうには暗くなり過ぎないいい頃合なのだとは思うが、やはり、もう少し異質なアクセントで作品世界をもっと広げて欲しかった気がする。