劇評114 

本物のスターの実力がアートにまで昇華した瞬間。

「in-i イン・アイ」


2009年3月15日(日)晴れ
シアターコクーン 午後6時開演

共同演出・出演:
    ジュリエット・ビノシュ、アクラム・カーン
ビジュアル・デザイン:アニッシュ・カプーア
音楽:フィリップ・シェパード
場 : 会場に入ると舞台が既に設えてある。背景にある壁と、下手の手前と上手奥に、椅子が1脚ずつ置いてある。赤く照らし出されたその装置が妙に艶かしく、しかもチープな猥雑さも兼ね備えていて場末のネオン街などもイメージさせる。そうか、これが、アニッシュ・カプーアの仕事、なのですね。
人 : やや空席が目立ちますね。1階席は8割位の入り、2階席は3割位の入りでしょうか。日本じゃ、ビノシュでも集客出来ないんですね。それともあまり告知が徹底されていなかったのかな?


  やはり最大の関心事は、ナマのジュリエット・ビノシュが見られるということであろう。
この公演を観たいと思った理由はそれに尽きる。しかも本公演はダンス、である。ジュリエット・ビノシュのことはもちろん映画でしか見る術はないのだが、最近はどの作品でも少々ふっくらした印象があったので、余計に興味を持ってしまった。ダンス、出来るの? と。しかし、それは全くの杞憂であったことが証明されることになる。

 


  また、本公演はバックアップ体制が凄い。グローバルツアースポンサーが、SGプライベートバンキングとエルメスなのだ。ジュリエット・ビノシュが直接プランを持ち込んで協力を要請したらしい。アーティストが自らの企画に懸ける思いは熱くストレートだ。まあ、トップスターであるから通用する手法であろうとも思うが、ジュリエット・ビノシュがアクラム・カーンとコラボするという企画は、是非見てみたいと思わせる魅力に満ち溢れているし、異分野の才能が同じ土俵に集い新しい作品創造をすることは文化的にも意義あることであると思う。こういう信頼感があってこそ、新しいアートが芽生えていくのであろう。そういう体制があるヨーロッパの土壌の豊かさにしばし感じ入る。

 
 


  やはり、ジュリエット・ビノシュは特別な輝きを放っていた。物凄く強い磁力があるのだ。そして、これまでに培ってきた経験に裏打ちされた芳醇な豊かさも持ち合わせている。天賦の才能と身に付けたスキルが、堂々と放出されてくるのだ。しかも、ダンスのキレがいい。身体も大分絞ったに違いない。身のこなしが軽やかでいてセクシー。しかも、プロのダンサーにはない憂いを纏っていて、存在自体が女そのものの象徴のようでもあるが、ジュリエット・ビノシュという個性が確実に存在もしているのだ。テクニックだけで言うと、ダンサーの方が上手いのかもしれない。しかし、女優であるがゆえに、踊っていても常に感情が立ち上ってくるのが特徴であり、訓練を受けた者が正確に振り付けをこなすだけでは見えてこない世界が広がるのだ。その感情とテクニックを自ら融合させて表現出来るというのは稀有なことなのだと思う。
アクラム・カーンも、また見事である。ダンスが素晴らしいのはもちろんであるが、時折挟み込まれるモノローグに込める感情などは、優にダンサーの域を超えている。観客にストレートに感情が叩き突けられてくる。
女優がダンサーの域に、そして、ダンサーが俳優の域へと、それぞれの分野を軽々と凌駕し出来上がった結晶は、この上もない極上品であった。

 


  物語がフェリー二の「カサノバ」から始まるのも、非常に好み、である。映画館で女が男を見初め、愛人にしてくれと詰め寄っていく。音楽のフィリップ・シェパードも素晴らしい。最近では映画「ムーン」が記憶に新しいところだが、ここでは、ああ、フランスもラテンなんだよなあなどと感じさせるような、絡み付くような実に扇情的なメロディが奏でられるのだ。女と男はメスとオスになり溶け合っていく。

 
 


  物語は、シュメールの神話の女神イナンナとシンクロし、冥界降りや磔刑などの試練をくぐり抜けて、人は心と身体を変容させながら新しい地平を切り拓くのだと説いていく。お互いが、どうしたら、あるいは何で、つながっていけるのかを模索しながらひとつに融合していく。



  アニッシュ・カプーアの仕事振りも刺激的である。刻々と変化する状態を、具体的なアイコン出して説明することなく、イメージさせていく。壁と椅子の在り方。そして、そこに照らし出される色彩の選択。揺れ動くスピリットを美しく体言しアートとしても成立させている。
 



  「イン・アイ」。逡巡しながらも自分の内面を見つめることで初めて、相手に対して本質を掴んだコミュニケーションが取れるのではないかとでも言うようなメッセージが込められているのであろうか。スターの本物の実力がアートにまで昇華した瞬間に立ち会えたことだけでも幸せなひとときであった。