劇評109 

初春に相応しい、稀代のエンターテイナーが集結した豪華で楽しいミュージカル。

「ドロウジー・シャペロン」





2009年1月10日(土)晴れ
日生劇場 午後5時30分開演

作詞・作曲:リサ・ランバート、グレッグ・モリソン
脚本:ボブ・マーティン、ドン・マッケラー
演出・翻訳・振付:宮本亜門
訳詞:森雪之丞

出演:藤原紀香、木の実ナナ、川平慈英、
なだぎ武、梅垣義明、浦嶋りんこ、
瀬戸カトリーヌ、石飛幸治、林勇輔、
小松政夫、尾藤イサオ、中村メイ子、小堺一機
 
場 :  日生劇場は久し振り。エントランスの階段のアプローチが豪華なんですよね。思わず期待感が沸いてきてしまいます。劇場の中に入るとオーソドックスな緋色の幕が下りている。ミュージカルなので、もちろんオーケストラピットも設えてあります。
人 : ほぼ満席。開演10分前位に入ったのだが、劇場周辺にまるっきり人の気配がなかったので心配したのだが、もう皆さん、中に入っていらしたんですね。いろんな層の方々が来ています。ミュージカルの追っかけみたいな人はあまり居ない感じです。そういう方々の食指の動く演目ではないのかな?


  本年初のステージです「ドロウジー・シャペロン」。面白かった!と素直に思える作品でした。いい意味で、単純で分かり易く、華やかで楽しい。そして、ちょっと、憂いも感じさせホロリとさせる。休憩なしの100分ノンストップという尺もいい。ある意味、ミュージカルの王道とも言うべき要素がタップリと詰まった内容だ。

 


  小堺一機演じるミュージカルオタクの男が、お気に入りミュージカルのLPレコードを聴くことで、そのミュージカルの世界が実際に立ち現われてくるという設定である。故に、いちいち彼のコメントが差し挟まれる。だが、その異化効果が実にいいのだ。このシーンはあまり好きではない、この曲はいいが詞はまずい、次のシーンは見ものですよ、と言った具合に解説してくれるので、逆に物語世界に集中出来るのだ。敢えて「よくない」と言ったネガティブな言い様が、笑いを誘う効果も引き出していく。シンプルだが、この構成の面白さが本作のキーポイントである。

 
 


  物語は、あるミュージカルスターの結婚式を控えた1日の様々なエピソードを、実に楽しく豪華絢爛に見せていく。役者陣には、リアルな演技は全く要求されていない。出演者のひとりに、コメディアンのなだぎ武がいるのだが、彼の演技はネタでやっている、ディラン・マッケイ、そのままなのだ。そして、役者たち全員が、そういうトーンの芝居をするのである。大仰な分かり易さとで言おうか。しかし、その浅薄さが、かえって1920年代のミュージカル的な雰囲気を醸し出し、いい塩梅なのだ。

 


  しかし、何と言っても本作の白眉は、日本を代表するエンターテイナーが揃い踏みであるというところだ。主演の藤原紀香は、宣伝大使としてTVや雑誌等のメディアで初ミュージカル出演を告知して露出が多かったが、対するは、何と木の実ナナ。日生劇場出演はデビュー作「アプローズ」以来というおまけまで付く。そして、結婚式の主催者とその執事には、中村メイ子と小松政夫。紀香のフィアンセは前述のなだぎ武。その友人に川平慈英。木の実ナナを落とすジゴロに梅垣義明。ミュージカル・プロデューサーに尾藤イサオ。そのフィアンセに瀬戸カトリーヌ。そして、ナレーターに小堺一機、である。この方々が、同じ舞台の上に立つのである。圧巻である。皆、全力投球である。歌も踊りも期待以上。どんどん実に楽しい気分になっていく。

 


 次々と様々な要素をプラスしていく本作のような明るくて華やかな演目は、演出家・宮本亜門の資質に合っているのではないだろうか。そぎ落としてシンプルにしていくという志向とは真逆にある、豊穣な世界を作り出すのが実に上手いのだ。氏が嬉々として演出しているそのトーンに、とても近い気がする。





  舞台となるナレーターの部屋を、クルクルと色々なシチュエーションへと目まぐるしく変化させる美術がいい。クレジットを見ると、二村周作が、美術アドバイザー、とあるが、ブロードウェイ版を踏襲したということか。壁の上部や柱のエッジの模様や、窓外の隣のビルとの接近具合等々、感覚がアメリカである。照明もそれぞれの場面をくっきりと際立たせて上手いなあと思ったら、原田保であった。久々です。やはり、いいですね。



  現実には実際辛いことがあったとしても、ミュージカルは明日を生きる力を与えてくれるのだというメッセージをナレーターが語り、その言葉が胸に染み入ってくる。そして、別次元の存在であるミュージカルの出演者たちが、ナレーターにエールの歌を捧げるシーンでエンディングを迎える。フワッと少しだけ温かくなったハートの上を、心地良い涙が伝う思いがした。実に楽しいひとと きでした。